震災のときぼくの身に起きたこと 2011.03.13
この日は晴れて割と暖かかった。
夕方、避難所で日本語の話せない留学生に話しかけられる。
名簿に名前を書いたら泊まれるよと伝える。
17時頃、電気が復活する。
50時間ぶりだ。
薄暗い中に灯った明かりに、少しホッとする。
大学の端っこの方にある小さな学食で、カレーが振る舞われる。
とは言ってもそんなに数はないので、周りに呼びかけるでもなく、たまたまその場にいた人だけがありつけた。
自分がどうしてそこにいたのか覚えてないが、とにかくラッキーだった。
なにせ3月11日の昼食以来、久しぶりの温かい食事。
いつもは不味いと感じていた260円のカレーが、人生で食べた食事でいちばん美味しかった。
夜、パソコンを開く。
余震に酔ってほとほと参っていたぼくは、実家のある秋田に帰る方法を調べる。
新幹線は当然ダメ。
高速バスもアウト。
太平洋側ルートは総崩れだ。
何かいい方法はないか…
このとき役に立ったのがTwitterだ。
当時はスマホなんてないしTwitterのアカウントももっていなかった。
ウェブ版のTwitterで仙台からの脱出方法を検索する。
どうやら仙台から山形市までは高速バスが動いてるらしい。
日本海側に出てしまえば電車があるので秋田には帰れるだろう。
Twitterの情報なんて果たして信じられるのか。
ただ、運行時刻を調べると、なんとか1日で帰れそうだ。
「よし、秋田に帰ろう」