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【書評】 自動車会社が消える日

 

部品メーカーの下剋上

「電気自動車はコモディティ化する」
「自動運転には5段階のレベルがある」
「中国がEVに舵を切ったのは現在の市場をゼロに戻すため」

クルマにはあまり興味がなく(買うお金がない)、この程度の予備知識しかありませんでした。
本書を読んで面白かったのは部品メーカーと完成車メーカーの逆転現象が起きつつあるという話。

ドイツでは部品メーカーと完成車メーカーの技術面における力関係で逆転現象が起こりつつある。特許の公開件数で部品メーカーが、VWダイムラーBMWといった自動車メーカーを追い抜いたのだ。
産業構造の頂点にあった自動車メーカーと、その下に位置づけられていた部品メーカーの力関係が逆転しつつあることを意味している。部品メーカーが自動車メーカーを技術的に支配する時代が近づきつつあるのだ。いずれ、この産業構造の変化は日本にも及んでくるだろう。

部品メーカーからすれば優れた要素技術を開発すれば、それを全ての完成車メーカーに売りつけることも可能なわけです。
Intel入ってる」みたいに。

スマホやPCと同じことがクルマでも既に進んでいるわけです。

自動車会社は敗戦の歴史に学べるか

「技術はあるけど売れない」
そんな状況をここ20年近く日本の電気メーカーは繰り返してきました。

この歴史が、自動車会社でも繰り返されようとしています。

それがバーチャル・エンジニアリングの導入。
これまでクルマは現物による試作とテストを繰り返すことで開発されていましたが、いまはコンピュータ上でいくらでもテストし放題。
つまり、これまで日本の自動車メーカーが築きあげてきた技術力の優位性がなくなってしまいます。

バーチャル・エンジニアリングの分野がドイツで進み、日本が遅れたことに関しては、「日本軍の失敗」と通じるものがある。木村英紀氏の著書『ものつくり敗戦』によると、旧陸軍の38式歩兵銃は、職人が1丁ずつ部品を調整しながら造るので、部品の互換性が同一工場の銃の間にしかなかったという。しかし英米では違った銃同士でも部品の互換性があったそうだ。
同じように「ゼロ戦」も名人芸による設計で、機体形状が複雑だったことから開発・生産に多くの工数と熟練工を必要とした。だから大量生産が求められる兵器には不向きだったというのだ。
さらに興味深いのは魚雷に関するエピソードだ。魚雷が標的の動きを確かめつつ進行方向を決める誘導制御装置を米軍は実用化して命中率を高めようとした。しかし日本軍にはアイデアはあったものの実用化できなかった。日本の酸素魚雷は速度と航続距離で高い性能を持ちながら、誘導制御装置がなかったことも戦果に結びつけられなかった理由のひとつだという。
魚雷の誘導制御装置は、クルマでいえば自動運転機能だ。車のエンジンや変速機など個別の機能は高いが、完全自動運転技術で出遅れつつある日本の現状と似ている。戦争末期、日本軍は誘導制御装置の代わりに「人」を使い、人間魚雷「回天」などによる特攻で多くの若い人の命を奪った。
木村氏は著書で次のように述べている。
「(日本軍の)名人芸に依存し普遍性を軽視する傾向は設計思想そのものに現れている。兵器開発担当者は、兵器をシステムとして運用する思想と能力を決定的に欠いていた。過去の栄光にあぐらをかき、新しい近代戦の様相に目をつぶっていた軍部の怠慢はひどいものであったと言わざるを得ない」
バーチャル・エンジニアリングの進化によって、「机上の論理」で車が開発できるようになった。この大きなパラダイムシフトから目を背けていては、日本の自動車産業は、かつての「日本軍の兵器」のようになってしまうのではないだろうか。

日本軍失敗との共通点は、電気メーカーの衰退を追った『東芝解体』でも指摘されており、不吉な予感がします。

その電化製品は韓国や中国、台湾のメーカーにすっかりやられたわけです。
自動車業界の新興勢力である中華系企業やインドのタタ・モーターズの動きに興味があったのですが本書では記載がありません。
プラットフォームの主導権を握るであろうGoogleUberについては言及されていて、こちらのほうがよほど驚異なのでしょうか。

なぜ日本企業はプラットフォームを支配できないのか。
「日本はルール作りがヘタクソだ」なんて言いますが、その理由についても指摘されています。

「普遍的な価値を判断する力をつけるには人間工学、哲学、歴史なども学ばなければならないのです。しかし日本の経営者にはそうした考え方がない」

「すぐに役に立つことは、すぐに役立たなくなる」と言います。
本当に大切なのは、分野横断・学際的な視野を持った人間を育てる教育です。

 

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