がーくんのブログ

読書とか音楽とか野球とか

【書評】平均思考は捨てなさい

 

人間に関する平均の歴史を明らかにする科学書であり、

ありのままの個性を肯定してくれる自己啓発書でもある。

両面性併せ持った本。

平均的な人間など存在しない

1940年代末、軍用機の墜落事故に悩まされていたアメリカ空軍。飛行機の構造パイロットの技術に問題はなく、関係者はコクピットの設計に目をつけた。パイロットの身体が20年前の設計時より大きくなったのではないかと考えたそう。当時コクピットパイロットの身体的特徴の平均に基づいて設計されていた。4063人のパイロットについて身長、胸囲、腕の長さなど、10項目すべてが平均から誤差30%の範囲におさまる人数が調べられた。

結果はゼロ。

平均的な人間など存在しなかった。

これ以降アメリカ空軍は個人がシステムに合わせるのではなく、システムを人間に合わせるよう方針を変更した。自動車の座席位置を前後させたりバイクのヘルメット紐の長さを調節するなど、今では当たり前に感じられることはここから始まったらしい。

平均≠普通

人間は人間を平均より上か下かで判断する。

そして平均的な人を普通、凡庸とみなす。

身長165cm、偏差値50、イケメンでも不細工でもない。

こんな人間がいたら普通だと思う。

しかし、平均=普通という考えはケトレーとゴルトンという2人の科学者によって19世紀に創り出された発想であり、人間に本来そなわっている思考ではないらしい。

実のところ、平均的な人間という今日の観念は数学的事実ではなく、一世紀半前に二人のヨーロッパ人科学者が、当時の社会問題を解決するために発明したものである。二人が考案した「平均人」という概念は、実際に多くの問題解決に役立ち、工業化時代の形成と進展にも貢献した。しかしもはや、工業化時代は幕を閉じ、今日の私たちはまったく異なった問題に直面している。おまけに、科学も数学も19世紀よりはるかに進展している。

人間は平均に近いほど価値が高いというケトレーの説を押しのけて、人間の価値は平均とどれだけ離れているかによって決定されるという発想を定着させたのは、ほぼ100パーセント、ゴルトンひとりの手柄である。

これは肝に命じたい。

人間は人間に関する統計や平均が大好きだ。年収、付き合ったことのある人数、読書量、運動時間、スマホの接触時間etc…

いろいろな平均を知っては自分と比較する。自分が平均より良いと優越感に浸り、悪いと劣等感を感じたがる。

しかし、平均より女性経験が少なくても、運動時間が少なくても、他人より劣っているわけではない。

それは個性の一部だ。

個人の時代

19世紀以降王座に君臨した平均を引き摺り下ろし、個性を尊重する時代がやってきた。

均一なシステムは決して機会均等を実現していない。

誰にでも平等の機会が提供され、誰もが潜在能力を十分に発揮するチャンスに同じように恵まれる社会が実現されることを望むならば、職業においても教育においても社会においても、個性を重視する制度を創造しなければらならい
これは平等な機会についての従来の考え方とは異なる。平均の時代においては、機会は「アクセスの平等」として定義され、誰もが確実に同じ経験にアクセスできることが重視された。

平等なアクセスにはひとつ大きな欠点がある。標準化された同じシステムに誰もが確実にアクセスできるように、個人の機会が平均的に最大化されることを目指すのだ。システムが個人にフィットするか否かは実際のところ考慮されていない。

本書では均一なシステムから個性に合わせた柔軟なシステムに転換した企業や大学も紹介されている。

システムの転換は困難ではあるが不可能ではないということだ。

 

とにかくこの本を読んで感じたのは、自分がいかに平均に毒されているかということだ。

均一な社会なんてクソ喰らえ。

自分の個性を肯定していこう。