がーくんのブログ

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【書評】還暦ジョッキー

年齢60、大井競馬のレジェンド、通算7000勝……

的場文男が生い立ち、競馬、家族、そして東京ダービーについて語る自叙伝。

昔の漢・的場文男

夢、努力、根性、一生懸命……

とにかくこの手の言葉が繰り返し繰り返し出る。

いまどき還暦でも珍しいんじゃないかというぐらい、昔の人だな、と。

そしてとにかくストイック。

朝は3時に起きて、調教して、7時半か8時頃には大井を出発します。第1レースの装鞍が10時頃から、最終レースまで乗ると、帰ってくるのは夕方の5時か6時です。シャワーを浴びて、夕飯を食べて、夜の7時半か8時頃には寝ます。翌朝はまた3時起きですから、そうしないと体がもちません。
だからテレビを見る暇もない。楽しみは何もない。それでも一生懸命、努力することは好きですから。そんな時代が15年くらい続きました。

さすがに60歳の今はここまでではないみたいだけど、こんな生活15年も続けられるのかという。

どんだけ競馬好きやねん。

7000勝するにはここまでしないといけないのか……

一番悔しいレース

そんな的場文男でもなぜか勝てないレース、東京ダービー

騎手生活43年、挑戦すること35回、2着9回

この本で的場文男が最も悔しい思い出として挙げているのが93年のブルーファミリー。当時は外枠希望というものがあったらしく、ゲートに難があったブルーファミリーは外枠希望で東京ダービーまで連戦連勝だった。

しかし当時スタート直後にコーナーを回るコース形態だった東京ダービーでは外枠は明らかに不利。的場文男は調教師に外枠希望を止めるよう進言していたが、調教師は目先の勝利を優先し何かと理由をつけて外枠希望を続けたらしい。

そして迎えた東京ダービー。ここまで外枠でしか走っていないので当然ここも外枠希望。単勝1.1倍断然の1番人気に押されたブルーファミリー的場文男だったが、スタートで出遅れ万事休す。

一連の流れについては的場文男がわざわざ「一番悔しい」と明言し、調教師の名前を挙げて事の顛末を細かく説明している。

よほど悔しかったのが伝わってくる。

残り短い騎手生活、なんとか悲願を達成してほしい。

【書評】ヒットの崩壊

タイトルは釣り気味だけど、90年代~10年代の音楽業界に置きた変化をチャートの分析、小室哲哉いきものがかり水野良樹といったプレイヤーへのインタビューなんかも交えながら冷静に分析してる。

紅白歌合戦に知らないアーティストや曲が出てくる、iTunesランキング上位のアニソンが分からない、100万枚売ってるAKBの曲を知らない、あのモヤモヤ感の正体を鮮明にしてくれる。

人間のランキング

90年代、なんで100万枚、200万枚、300万枚とCDは売れたのか。”オリコン1位”があんなにも持て囃されたのか。

この問いに、「人間のランキング」という答えが出てくる。

では、なぜレコードの売り上げ枚数のランキングが話題を呼び、社会的な影響力を持つようになったのか? 「シングルランキングはレコードの売り上げ枚数のランキングだから、一見すると『モノのランキング』に見えますよね。でも、実はこれって、『人間のランキング』なんですよ」
垂石はこう指摘する。 「やっぱり『人間のランキング』が一番興味を持たれるんです。たとえば、うちでも書籍のランキングをやっていますが、やっぱり音楽に比べるとなかなか話題にならない。それはあまり人間のランキングとして見られていないからです。それに比べると、レコードやCDのランキングはそれを歌っている人の人気を並べたランキングになる。だからこそ、ランキングで1位になることに大きな意味がある。それに、発売日が重なると熾烈な戦いになりますよね。たとえば80年代の松田聖子中森明菜がそうだった。00年代の宇多田ヒカル浜崎あゆみもそう。それらのランキングが注目を集めたのも、それが『人間の対決』だからなんですよね」

宇多田ヒカル浜崎あゆみが同じ日にアルバムリリースしたときはワイドショーでも「世紀の歌姫対決」を煽ってて凄かった。当時中学生だったボクは、お小遣いから宇多田ヒカルの『Distance』を買った。確かにあの時は宇多田ヒカルの曲を聴きたいだけでなく、宇多田ヒカルに1位になってほしいという気持ちでCDを買った。

で、なんでオリコンランキングが機能しなくなったのか。その答えのひとつがAKBの選抜総選挙にある。

むしろハッキングの本質は選抜総選挙にある。AKB48のみが「人間の対決」という仕組みをそのプラットフォームの中に内在している。人気の指標を、明確な基準によって集計された数字によってランキング化する。その独自のシステムを持っている。

つまり、AKBのCD売上を握手券を売ってるだけといってバカにする人がいるけど、90年代のCD売上だって純粋に音楽を買っていたとは言えない。「人間のランキング」に影響されてアーティストという人間のCDを買っていたにすぎない。今のチャートが異常なのはもちろん、90年代のチャートも同じく異常だった。

J-POPのミュージカル化

ヘビーローテーション

マル・マル・モリ・モリ!

恋するフォーチュンクッキー

レット・イット・ゴー~ありのままで~

前前前世

PPAP

個人的に10年代のヒット曲と呼ぶにふさわしいと思うのはこの7曲。

去年は豊作だったね。今年は1曲も思い浮かばないほどの凶作

この本の中では10年代の変化のひとつとして、カラオケや踊ってみた動画など、音楽は「聴く」ものから「参加する」ものになったと書かれている。

この現象はひとことで言うとJ-POPがミュージカル化しているということじゃないだろうか。『アナ雪』はモロにミュージカルだし、『君の名は。』もミュージカル的な要素のある作品だ。今年も『モアナ』や『美女と野獣』が話題だし、次の国民的ヒット曲はミュージカルから生まれたりして。

ロングテールとモンスターヘッド

興味は細分化し、見たいものだけ見れる時代、マスじゃなくニッチに商機がある。そう思っていたが、実情は違うらしい。

かつてに比べてリリースされる作品の量は格段に増えた。制作費が安くなったこと、誰もがネットを通して作品を発表できるようになったことで、とても広大なニッチ市場が成立するようになった。ロングテールは確かに長くなった。しかし、その先端は極端に細くなり、ロングテールの先っぽは、儲けを生み出すにはほど遠い小規模の売り上げのものが占めるようになった。
その一方で、SNSが普及したことで「みんなが話題にしている」という状況がもたらす波及力がさらに増した。人々は、周りの人と同じ音楽を聴きたがり、同じ映画を観たがるようになった。エンタテインメント産業における勝者の影響力がより強くなった。結果、圧倒的なスケールで成功をおさめるトップスター、いわば「ロングテール」と対極の「モンスターヘッド」の存在感が増した。

ここまで読んで初めて、この本は音楽業界のことだけじゃなくあらゆるコンテンツ業に通ずる構造的な変化を指摘しているということに気がついた。

ちなみに自分はLINEミュージックを利用している。サブスクリプションサービスを利用しはじめてから興味や視野が広がっていろんなアーティストを聴くようになった。

DAOKO、さユりパスピエ、女王蜂、ハナエ、SHISHAMOYun*chi……

CDの売上で言えば2000~3万ぐらいのアーティストばかり。この規模はロングテールと言うにはちょっと多いが、もし今が90年代CDの時代、あるいは00年代ダウンロードの時代だったら自分では絶対にたどり着かない。

ロングテールだろうとモンスターヘッドだろうと、リスナーにとっては選択肢の多い良い時代になっている。

社会に影響を与える

「たとえビジネスとして成立していたとしても、みんなが共有できるヒット曲がないということは、音楽が社会に影響を与えていると言い切れないということになってくると思うんです。そうすると、逆に社会全体から見たら、音楽はいくつかあるコンテンツのうちの一つでしかなくなってしまう。極端に言えば、どうでもいいものになってしまうんじゃないかという危惧があるんです」

この本でいちばん印象的だったのが、いきものがかり水野良樹のこのコメント。 

ヒット曲がない時代というのはやっぱりなんだか味気ない。あくまでも作り手の意識は、水野良樹のようであってほしい。

ところが今、たとえ無料であっても音楽を聴かない層が増え「音楽離れ」が進んでいるという分析もある。

news.yahoo.co.jp

 

これはまさに音楽が社会に影響を与えなくなった結果だろう。

 

【書評】サピエンス全史

まず単純に読み物としておもしろい。

上下巻に分かれていて分量は多いハズなんだけど、グイグイ読める。

そんなに難しい表現も使っていないから読みやすいこと読みやすいこと。

 

前半はこれまでの人類史。

後半は人類がこれからどこへ向かうのか。

要は、僕たちはどこから来てどこへ向かうのかについて書かれている。

 

進化

遺伝

歴史

宗教

経済

哲学

思想

科学

幸福

 

あらゆる分野が網羅横断的に書かれていて、自分の知識の総点検ができる感じ。

 

認知革命

虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。

これがこの本の主張だ。

 

神様は実在しない。

でも宗教は信じる。

 お札はただの紙。

でも諭吉さんは1万円。

 法律はただの文章。

でも人はソレに従う。

 企業に実体はない。

でもそこで働く。

 

なるほど人は認知革命によって虚構を信じるようになり、社会の秩序を築いたわけだ。

 

タモリさんや関根勤がいいともで自分たちのことを「妄想族」と言っていた気がするが、彼らは最も人間らしい人間なのかもしれない。

テクノロジーが高度に発達して実在と実質の境界線が曖昧になるなかで、人間に残された道は妄想だ。

 

農業革命

ホモ・サピエンスはもともと狩猟採集民族で、僕たちの身体にはそのときの記憶が遺伝子にインプットされている。

ガンや生活習慣病も糖質=炭水化物の摂りすぎが原因。

糖質OFFダイエットは、要は狩猟採集民族みたいな暮らしを取り戻そうぜ!っていうことだ。

つまり農業は必ずしも人間を幸せにはしていない。

ここまでは聞いたことがあったけど、この本ではさらに刺激的な表現を使っている。

人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。

なんてこったい /(^o^)\

21世紀の人間は機械に飼いならされることを心配しているが、すでにお米の奴隷だったなんて。

 

それにしても何この洞察力。

どうしてこんなことが思いつくんだろう。

こういう自分の知識発想ではあり得ない着想を目撃したとき、読書してて良かったと思える。

 

科学革命

普通の人なら今に生まれてよかったと考えると思う。

電気のない生活なんて考えられないし、戦争の時代も絶対にイヤだ。

 でも、昔はそうは考えなかったらしい。

人間が科学を獲得する前、ユートピアは未来ではなく過去にあった。

科学革命以前は、人類の文化のほとんどは進歩というものを信じていなかった。人々は、黄金時代は過去にあり、世界は仮に衰退していないまでも停滞していると考えていた。長年積み重ねてきた叡智を厳しく固守すれば、古き良き時代を取り戻せるかもしれず、人間の創意工夫は日常生活のあちこちの面を向上させられるかもしれない。だが、人類の実際的な知識を使って、この世の根本的な諸問題を克服するのは不可能だと思われていた。知るべきことをすべて知っていたムハンマドやイエスブッダ孔子さえもが飢饉や疫病、貧困、戦争をこの世からなくせなかったのだから、私たちにそんなことがどうしてできるだろう?  多くの信仰では、いつの日か救世主が現れて戦争や飢饉にすべて終止符を打ち、死さえなくすと信じられていた。だが、人類が新しい知識を発見したり新しい道具を発明したりしてそれを成し遂げられるという考えは、滑稽というだけでは済まされず、不遜でさえあった。バベルの塔の話やイカロスの話、ゴーレムの話、その他無数の神話は、人間の限界を超えようとする試みは必ず失望と惨事につながることを人々に教えていた。
近代の文化は、まだ知られていない重要な事柄が多数あることを認め、そのような無知の自認が、科学の発見は私たちに新しい力を与えうるという考え方と結びついたとき、真の進歩はけっきょく可能なのではないかと人々は思い始めた。解決不可能のはずの問題を科学が一つまた一つと解決し始めると、人類は新しい知識を獲得して応用することで、どんな問題もすべて克服できると、多くの人が確信を持ちだした。貧困や病気、戦争、飢饉、老齢、死そのものさえもが、人類の避けようのない運命ではなくなった。それらはみな、私たちの無知の産物にすぎないのだった。

これを読んで、エヴァのゲンドウと冬月のやりとりを思い出した。

冬月 「街、人のつくりだしたパラダイスだな」

ゲンドウ「かつて楽園を追い出され、死と隣り合わせの地上という世界に逃げるしかなかった人類。そのもっとも弱い生物が弱さゆえに手に入れた知恵でつくりだした自分たちの楽園だよ」

まあ楽園なんてどこにもないんだから、科学によって楽園っぽいところに近づいてる今こそがやっぱり最高なんじゃないかな。

 

人類のこれから

ありきたりだけど、人間は神の領域に近づいている。

これまで進化は自然選択による偶然の結果だった。

これからは違う。

人間が進化を設計できるようになる。

ゲノム編集によってイケメンと美人だらけになってブサイクは滅びるかもしれない。

20歳の若さを永遠に保てるかもしれない。

未来は欲望の赴くままだ。

 

「人間の想像することは全て実現できる」

そんな言葉を思い出す本だった。