がーくんのブログ

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【書評】東芝解体 電機メーカーが消える日

 

ナニこの本おもしろい。

というのが一読した感想。著者の取材量、歴史理解、考察の深さに驚嘆。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)』をモチーフに、日本の電気産業の成り立ちから現在の敗戦までを構造的に考察している。

特に、各メーカーの社長や会長の実名を挙げ、権力者たちの闘争・選択・決断を明らかにし、どこでどうミスしたのかを歯切れよくズバズバと指摘していく筆運びは圧巻。

電機メーカー、否、どの業種であれメーカー系への就職を考えている大学生には強く推薦したい一冊である。

電機メーカー敗戦の理由

 序章:日本の電機メーカーが負け続ける「本当の理由」

は38ページしかないが、ここだけ読んでもこの本の面白さとエッセンスが詰まっている。

かいつまんで言うと、日本の電機産業はNTTを頂点とする「電電ファミリー」と、電力会社を頂点とする「電力ファミリー」によって成り立ってきた。NTTや電力会社からの設備投資によって各メーカーがインフラをつくる。そこで十分な儲けがあるから家電やパソコン、半導体、携帯電話に手を出し「総合電機メーカー」が乱立する。

しかし、このシステムが瓦解をはじめる。

冷戦終了によりアメリカは日本を庇護するのではなく競争相手とみなし、通信自由化と電力自由化を迫る。さらにリーマンショック東日本大震災福島第一原子力発電所事故といった変曲点を経て、90年代には電力・通信事業者それぞれ4兆円ほどあった設備投資額が10年代には2~2.5兆円にまで減額される。

ところが「総合電機メーカー」には世界で戦える尖った製品がない。

結果、日本の電機メーカーはグローバル化に飲み込まれ半導体、テレビ、スマホと敗戦を繰り返す。

これがおおまかな流れである。

旧日本軍敗戦との共通点

そして筆者は電機産業の敗戦を旧日本軍の敗戦と重ね合わせる。

シャープの堺工場とパナソニックの尼崎工場は、第二次世界大戦時に日本軍が建造した戦艦、大和と武蔵によく似ている。
日本の軍事技術の粋を集めた大和、武蔵は史上最大の戦艦であり、強力な主砲を備えていた。しかし真珠湾攻撃で日本の戦闘機に戦艦を沈められた米国は大鑑巨砲のもろさを学び、その後は装備の主眼を航空戦に置いた。そして航空機を戦場に運ぶための空母を大量に建造した。
大洋で艦隊と艦隊が向き合う海戦が展開されることはなく、大和と武蔵は自慢の主砲を満足に使う間もなく、海の藻屑と散った。
資源が乏しい日本は短期決戦を望み、大鑑巨砲で一気に決着をつけようとした。しかしそれは日本の願望でしかなく、実際の戦局は長引いた。見たいものだけを見る。戦況が自分たちの思うとおりに進むと思い込み、想定外の状況に対処しようと言えば「腰抜け」と非難された。軍隊は一点豪華主義で戦略性を欠き、高性能レーダーや航空機を駆使する連合軍の新しい戦争に太刀打ちできなかったのである。(中略)スマホ革命の最中、シャープやパナソニックは国内で高精細と大画面化を競う不毛な競争を続けていた。その象徴が堺工場尼崎工場である。相手がレーダーを駆使した航空戦を仕掛けてきたのに、それを大艦巨砲で迎え撃とうとしたのだ。
日本の電機産業の失敗の本質はそこにある。

過去の歴史と今をつなぎ合わせる洞察力のある人間

サウイフモノニワタシハナリタイ。 

廃炉企業 東芝

そしてこの本を読むと、東芝・日立・三菱重工は敗戦の歴史をまたも繰り返そうとしてるようにしか思えない。

次は原発である。

どうしても原発を推進したい自民党経産省は、国内原発三社を統合するなりして原発事業なんとしても生き残らせようとするだろう。

しかし原発の新規建設は世界的に見てもなかなか進まない。ましてテスラ・モーターズGoogle再生可能エネルギーへ積極的に投資している。さらにプレ・シンギュラリティがくればバッテリの性能は格段に飛躍する。

大艦巨砲主義に陥って航空戦に遅れをとった旧日本軍。

技術独善の罠に嵌ってスマホに乗り遅れた国内電機メーカー。

原発依存に沈んだ東芝

それでも原発を推進する経産省東芝・日立・三菱重工……

「失敗の本質」はそこにある。

【書評】人はなぜ不倫をするのか

ベッキーの不倫とか、ファンキー・モンキーがベイビーだったとか、渡辺謙が奥さんの病気療養中にお楽しみだったとか、そんなこと僕は全く興味がない。

ただ、不倫に怒る人、叩くメディア、暴く文春がどうしてそんなに騒ぐのか、ということには常々疑問に思うとともに、危険な香りを感じていた。

この本では心理学者、昆虫学者、動物行動学者、脳科学者など8人の識者に著者が「不倫」についてインタビューした内容がまとめられている。

面白いのは、学者によって真逆の意見を述べている要素があるところ。例えば、昆虫学者は「ヒトはフェロモンを捨てた」と言い、行動遺伝学者は「ヒトにもフェロモンはある」と主張する。

 こういった対立する見解を知れば、誰かが、そして自分が不倫してしまう可能性について寛容になれるんじゃないだろうか。

ヒトが不倫をするのは仕方ないことなのか

ヒトが不倫をするのは避けられないのか?

8人の識者の解答は、大きく2つに分けられる。

「ヒトが不倫をするのは仕方がない」派と、「ヒトがなぜ不倫をするのかはわからない」派だ。

どちらにしろ不倫を否定する意見はほぼない。

特に昆虫学者の見方が腑に落ちる。

昆虫のような原始的な生物をずっと研究していると、昆虫の世界こそが生きやすく、実は人間のほうが「生物」という形からはずれているのかもしれないと思うことがあります。つまり、本能以外の「常識」や「社会通念」が大きくなりすぎているのでしょう。しかもそういった社会的な取り決めは、時代によって変わっていきます。「一夫一妻制」も「不倫はいけない」とする考え方もきわめて現代的でしょう?つい何十年か前まで日本には夜這いの習慣があったし、側室やら妾やらがいた時代もあって、そのほうが当たり前だったのですから。

「不倫」が倫理に反することに決まったのは数十年前のことであり、別に不倫して刑事罰に問われるわけでもない。

まして、その数十年前より寿命も格段に伸びた。1人のパートナーと一生添い遂げるなんてそもそもムリがあるんじゃないかという気がする。

不倫が倫理に反するというのは、ヒトとしての道を踏み外しているからではなく、現代の日本人として社会的に求められる空気にすぎない。

日本に蔓延る危ない空気

この本では学者が自身の専門領域から不倫についていろいろと言っているが、唯一共通する意見がある。

宗教や法律がないからこそ規制の基準がないまま、個人の判断ややっかみ、怨恨で叩かれる。逆に恐ろしい社会になっています。

ジェラシーとバッシングの支配が強まっているのが現代日本の風潮です。

肯定はしないけれど「不倫してはいけない」という社会規範を個人に押しつけたり断罪したりするのは違うと思っています。不倫よりむしろ、そうやって人をバッシングする人のほうが気になります。

不倫に騒いでる人は少数だとは思う。しかし、今や不倫ネタは最強のゴシップとしてメディアとTwitterにより拡声され、怒れる人が多数派なんじゃないかと錯覚してしまう。

この本を読んで「不倫」が仕方ないことかもしれないという見解を自分の頭の中に入れれば、赤の他人の不倫にも優しくなれると思う。

というか、次に不倫するのは自分かもしれないわけで。

【書評】平均思考は捨てなさい

 

人間に関する平均の歴史を明らかにする科学書であり、

ありのままの個性を肯定してくれる自己啓発書でもある。

両面性併せ持った本。

平均的な人間など存在しない

1940年代末、軍用機の墜落事故に悩まされていたアメリカ空軍。飛行機の構造パイロットの技術に問題はなく、関係者はコクピットの設計に目をつけた。パイロットの身体が20年前の設計時より大きくなったのではないかと考えたそう。当時コクピットパイロットの身体的特徴の平均に基づいて設計されていた。4063人のパイロットについて身長、胸囲、腕の長さなど、10項目すべてが平均から誤差30%の範囲におさまる人数が調べられた。

結果はゼロ。

平均的な人間など存在しなかった。

これ以降アメリカ空軍は個人がシステムに合わせるのではなく、システムを人間に合わせるよう方針を変更した。自動車の座席位置を前後させたりバイクのヘルメット紐の長さを調節するなど、今では当たり前に感じられることはここから始まったらしい。

平均≠普通

人間は人間を平均より上か下かで判断する。

そして平均的な人を普通、凡庸とみなす。

身長165cm、偏差値50、イケメンでも不細工でもない。

こんな人間がいたら普通だと思う。

しかし、平均=普通という考えはケトレーとゴルトンという2人の科学者によって19世紀に創り出された発想であり、人間に本来そなわっている思考ではないらしい。

実のところ、平均的な人間という今日の観念は数学的事実ではなく、一世紀半前に二人のヨーロッパ人科学者が、当時の社会問題を解決するために発明したものである。二人が考案した「平均人」という概念は、実際に多くの問題解決に役立ち、工業化時代の形成と進展にも貢献した。しかしもはや、工業化時代は幕を閉じ、今日の私たちはまったく異なった問題に直面している。おまけに、科学も数学も19世紀よりはるかに進展している。

人間は平均に近いほど価値が高いというケトレーの説を押しのけて、人間の価値は平均とどれだけ離れているかによって決定されるという発想を定着させたのは、ほぼ100パーセント、ゴルトンひとりの手柄である。

これは肝に命じたい。

人間は人間に関する統計や平均が大好きだ。年収、付き合ったことのある人数、読書量、運動時間、スマホの接触時間etc…

いろいろな平均を知っては自分と比較する。自分が平均より良いと優越感に浸り、悪いと劣等感を感じたがる。

しかし、平均より女性経験が少なくても、運動時間が少なくても、他人より劣っているわけではない。

それは個性の一部だ。

個人の時代

19世紀以降王座に君臨した平均を引き摺り下ろし、個性を尊重する時代がやってきた。

均一なシステムは決して機会均等を実現していない。

誰にでも平等の機会が提供され、誰もが潜在能力を十分に発揮するチャンスに同じように恵まれる社会が実現されることを望むならば、職業においても教育においても社会においても、個性を重視する制度を創造しなければらならい
これは平等な機会についての従来の考え方とは異なる。平均の時代においては、機会は「アクセスの平等」として定義され、誰もが確実に同じ経験にアクセスできることが重視された。

平等なアクセスにはひとつ大きな欠点がある。標準化された同じシステムに誰もが確実にアクセスできるように、個人の機会が平均的に最大化されることを目指すのだ。システムが個人にフィットするか否かは実際のところ考慮されていない。

本書では均一なシステムから個性に合わせた柔軟なシステムに転換した企業や大学も紹介されている。

システムの転換は困難ではあるが不可能ではないということだ。

 

とにかくこの本を読んで感じたのは、自分がいかに平均に毒されているかということだ。

均一な社会なんてクソ喰らえ。

自分の個性を肯定していこう。

【書評】アカマイ 知られざるインターネットの巨人

 

このブログもアカマイによって配信されているかもしれない。

数か月前から積読していたの本で、なぜこの本読もうと思ったのか忘れちゃったんだけど、この本を知るまでアカマイという会社をまったく知らなかった。

「顧客のデータをインターネット上で迅速に配信することに特化した多国籍企業

アカマイはひとことで言うとこんな仕事をしている。

もう少し詳しく言うと、アカマイは世界中92カ国に15万台ものサーバーを分散配置し、ユーザーが最寄りのサーバーからデータを受け取るよう交通整理している。

例えば、www.example.comにアクセスしようとしたときそのサイトのサーバーが近くにあればいいけど、大抵は海の向こうにサーバーがある。アカマイはユーザーの近場にキャッシュサーバーを持っていて、ホントのサーバーではなくキャッシュサーバーのIPアドレスを返す。情報は光の速さで送られるが、光速がいくら速いといってもたかだか3.0×10^8 m/sでしか伝わらない。光ファイバー内ではもう少し遅くなる。だから、ユーザーのアクセスを近場のサーバーに誘導して物理的な距離を縮めれば、それだけページ表示も速くなる。しかもホントのサーバーの負荷も軽減できる。さらにさらに、サーバーを分散させているのでDDoSといった攻撃の負荷も分散できてしまい、ホントのサーバーを守ることができる。

ナニコレ凄い。考えた人天才でしょ。

インターネットという黒魔術

 

最近AIが黒魔術化しているという記事を読んだ。

www.itmedia.co.jp

これと似たようなことがインターネットにも言えると思う。

インターネットの仕組み、スマホ部品、無線技術、そしてアカマイのことは知らなくてもインターネットは使える。

例えば、Twitterはするけどインターネットは利用していない」という認識の人がどうやらいるらしい。

togetter.com

でもこれってなかなか恐いことじゃないだろうか。

その意味で、この本はアカマイという会社について教えてくれるのはもちろん、アカマイのやってることを解説するためにインターネットそのものの仕組みを分かりやすく教えてくれる。

ますます魔法化するテクノロジーの正体を知ることは非常に重要だ。

アイドルとファンは共犯である

前提

  • 僕はPerfume乃木坂46のファン
  • かと言ってAKBはじめ他のアイドルはあまり詳しくない
  • 須藤凛々花さんについては「NMBのちょっと変わったショートの娘」とだけ認識

恋愛禁止

まず自論として、アイドルだって恋愛していいと思う。恋愛禁止というルールは憲法で規定された基本的人権の尊重に背いてるし。AKBでは恋愛禁止はルール化されてない”風潮”らしいけど。

恋愛はしてもいいが、アイドルは「擬似恋愛」を提供するという特性上、恋愛していることは全力で隠すべき。逆に言うと、隠しさえすれば何でもアリ。

ファンだって20歳前後でかわいい女の子に彼氏がいないなんて心の底では思ってない。でも、アイドルは「ファンのみなさんが好き」とウソついて、ファンはそのウソをウソと知った上で受け入れる。そういう暗黙の了解のもとにアイドルとファンの共犯関係は成り立っている。

裏切り者は誰か 

須藤さんは身辺整理してキレイに卒業して、ほとぼり冷めたころに結婚してれば何の問題もなかったのに、共犯者であるファンを裏切った。須藤さんはお子ちゃまでプロ意識が低かった。

ただ、一部の関係者は結婚発表することを知っていたそうで。事前に止めることも可能だったはずなのに、運営は結婚発表を須藤さんに"言わせた"わけだ。

AKBはこれまでもスキャンダルを逆手に取ってストーリーを創り上げてきた。今回も結婚を利用して、「話題になれば何でもあり」という卑しい考えが透けて見えてしまう。

運営は共犯関係を引き裂いてしまったのだ。

あ~そうだ。AKBって、こういうグループだった。

 

そしてもう一人、共犯関係を引き裂いた人物がいる。

文春だ。

そもそも文春が須藤さんの写真を撮らなければ、穏便に卒業して極秘裏に結婚するとか、結婚はせずこそこそと付き合うとか、全員が幸せになる選択肢もあり得たはずだ。

人のプライベートを暴いてお金をむしり取るようなゲスの極みに、アイドルもファンも運営もテレビも僕みたいな無関係な人間も心ザワつかされた。

まとめ

ホントは彼氏がいることなんて知った上で、それでもファンはアイドルに擬似恋愛をする。アイドルは恋愛禁止の設定でファンに好きになってもらう。

アイドルだって恋愛していい。

隠しさえすれば。

でもその秘密を暴こうとする奴がいる。

そしてアイドルとファンの共犯関係が崩壊したら、ファンも本人にも辛いことが待ち受けてるし、メンバーに迷惑をかける。そのリスクを背負ってまで付き合うなんて、相手は相当いい男なんでしょうね。

 

【書評】人口と日本経済

【書評】 

人口論の歴史を一冊の新書にスッキリコンパクトにまとめたという意味ではとてもいい本。

第1章は人口論、第3章は長寿化の歴史、第4章は経済というより経済論について。肝心の人口と経済の関係については第2章でデータを示して論じている。

全体的に楽観的な主張が多く、納得できる部分が多かった。

経済成長はイノベーションによってもたらされる

人口減少は大きな問題だが、しかしその一方で、日本経済の「成長」については、「人口減少ペシミズム」が行きすぎている。人口が減っていく日本経済に未来はない、といった議論が盛んになされるが、これは間違っている。先進国の経済成長は、基本的には労働人口ではなく、イノベーションによって生み出されるものだからである。

この本の言いたいことはここに集約されている。この主張には大いに賛同できる。人口や労働人口と経済成長にはあまり相関がないこともしっかり統計データやグラフを使って示されている。経済成長は人口の増加ではなく労働生産性の高まりによってもたらされる。

この本は要するに「人口が減っても経済は成長できる!だからもっとみんな楽観的に行こうぜ!」ということが言いたいのだ。

じゃあ日本の労働生産性はどうなのかというと、2016年のひとり当たりGDP(購買力平価)は世界30位に沈んだ。

世界の1人当たり購買力平価GDP 国別ランキング・推移(IMF) - Global Note

あえてポジティブに言うと、改善の余地はまだまだ残されていて、それだけ日本は経済成長が可能なのだ。

イノベーションは続くか

この本は日本経済について全体的に楽観的な見方をしているが、どうしても一つだけ気になることがある。それは、イノベーションが今後も続くとは限らないのではないかということだ。 

例えば、NVIDAがムーアの法則の終了を宣言した。

「ムーアの法則は終わった」、NVIDIAのCEOが言及 - EE Times Japan

半導体は原子レベルまで微細化してしまったので、これ以上小さく出来ないという単純な物理的限界が来た。

これまでは微細化という持続的なイノベーションが続いてきた。

これが止まってしまったら、半導体に替わる”何か“を生み出す破壊的イノベーションが必要になる。

いつかは量子コンピュータが開発されるだろう。

でもそれは明日かもしれないし、100年後かもしれない。

破壊的イノベーションは不連続に起こるので予測がつかない。もし破壊的イノベーションが起きなかったら日本経済は少子高齢化の痛みに耐えられるのか、ということについても注意しないといけないんじゃないかと思う。

 

【書評】なぜあなたの予測は外れるのか

人工知能を利用した在庫管理を通して統計的予測の捉え方やヒューマンエラーについて解説し、人間の予測がなぜ外れるのかを明らかにする。

ここで使われる人工知能はT・AI(Timeseries Artificial Intelligence=時間の人工知能)と呼ばれる。販売数量、生産数量、在庫数量などの経済変動量を対象とした「計算知能」で、自然現象、物理法則、感性、創造性などに関する諸量は対象としていないらしい。最近流行りのディープラーニングとも違い学習性があるわけではないが、答えの分からない演算の最適化に特化しているっぽい。

売れたバナナの本数は正しいか?

とあるスーパーでT・AIがその日売れるバナナの本数を482本と予測した。翌日売上実績を確認すると、実販売数は474本だった。このとき、売れたバナナの本数474本は正しいか?

な……何を言っているのかわからねーと思うがおれも何を言ってるのかわからなかった……

この問いに答えるにはホワイトノイズが何たるかを正しく捉える必要がある。時系列データは規則的変動と不規則変動の重ね合わせであり、不規則変動の部分をホワイトノイズという。ホワイトノイズには予測不可能、総和がゼロ、バラつきが一定、データによってバラつき度合いは異なる、という特徴がある。

T・AIは予測時点では規則的変動しかわからず、ホワイトノイズは予測できない。

よって”予測としては”482本が正解。らしい。

要は、完璧な予測なんて不可能で「予測誤差=ホワイトノイズ」となるよう最適化するのがT・AIの仕事。

この本に載ってる事例では、電子機器、納豆、木材などなどあらゆる商品について60-90%の在庫削減効果を示している。

人間の予測とT・AIの予測とでここまで答えが違うということは、人間とT・AIとでまるで思考が違うということだ。

だったら、T・AIの出した答えが正解かどうかどうやって判断するのか。

「今までT・AIが間違えたことがないから今回も正解だろう」とでもするのだろうか?

この本では人間と人工知能の付き合い方はテーマとしていないので浅くしかツッコんでいないが 、こういう事例を知れば知るほど、どうしても哲学的な問いが残ってしまう。